|
『 STORY 〜ものがたり〜 』 |
||||||
|
|
|||||||
私のPrivate〈プライベート〉携帯のメールには 署名の下に『20061227P726』という数字が並んでいる。 (※数字を入れることは、2006年いっぱいで終了しました) 12月27日、今日は私の人生の物語「第二章」の726ページ目。 これまでの歩みの中で「まるで!ものがたりの中を生きているみたいだ!!」と何度も感嘆した。 Synchronicity〈シンクロニシティ〉(共時性)による導きと日常の「SIGN〈サイン〉」を読み取り それを辿ることで手繰〈たぐ〉り寄せられる無数の「結果」の集まり。 その、小さな結果のひとつひとつを「パズルピース」を集めて「人生」という大きな絵を仕上げる 感覚でこの世を生きている。 私はこのものがたりを生きる主人公で、役者は天によって選ばれ必然的に登場する。 世界人口分の主人公。 全ての人が自身の人生では主人公であると同時に、他者の人生に於いては脇役である。 私の「今生」のものがたりは第一章がとてつもなく長かった。 土台・成り立ち・経過を示す、人生の基盤となる第一章。 その最初の章が終わったのは2004年。 2005年の1月1日から第二章が始まり、その日が新たな1ページ目となった。 つまり、「P1」。 それ以来、毎日1ページづつものがたりを歩いて来た。 そして今年「第二章」が終わる。 今日からの5日間は第二章の最後の「CLIMAX〈クライマックス〉」が綴られる。 と言っても、クライマックスが大げさである必要はない。ので。 何て事はない穏やかな5ページを終え、次の「第三章」への橋渡しとなるのだろう。 それでも。その何て事ない1日1日にこそ、かけがえのない天の導きが隠されている。 「第二章」を振り返り、発せられるMessage〈メッセージ〉。 「その裏を読め」 人間の価値観で「苦」と感じられることが、必ずしも天の視点から見た「苦」とは限らない。 そのことによって知らずに守られ導かれていることが必ずある筈だ。 だからこそ、「その、裏を読め」 「表」に惑わされて光を見失わないように。 その為に、発想と創造力は存在する。 耳に聞こえる事だけが「方法」ではない。 目に見えるものだけが「技術」ではない。 “闇を見て光を見ず 光を見て闇を見ず どちらが欠けても 仏にはなれない” 闇も仏の顔の一部であると、光の裏に記されている。 光は仏の顔の一部にすぎないと、闇の裏に記されている。 行きづまりや迷いが生じたとき、表に答えは書かれていない。 答案用紙やテスト用紙に、答えが書かれていたことがあった? 今。貴方が探している答えは、表にはない。 答えは、裏にある。 そして。そのヒントは日常のありとあらゆるところに組み込まれている。 それを受け取るのか無視するのか、そこに正しさや善悪はない。 ただ、するのかしないのか、それだけ。 何度も目にする景色や看板、人から伝えられる何気ないメッセージ、 つけた途端にテレビで発せられる言葉や情景、間違えて届けられた郵便物、 人からもらった贈り物、誘われて出かけた場所、突然話しかけられた見知らぬ人の言葉、 ヒントをあげたらきりがない、きりがない。 その事(導き)に対する信頼は、それを実践してその度「結果(経過)」を受け取ることを 積み重ねて行くしかない。 「信じること」を言葉で教える事は出来ないし、 私が誰かに何かを「信じさせてあげる」ことは出来ない。 ある友人に「信じるってどういうことだろうか」「信頼とはなんだろうか」という質問を受けた事があった。 もし、私が何かを信じているように見えたとしたら、 私にとって“それ”は「正しいから信じるのではなく、信じるからこそ正しい」と思っているからだ。 私が何かや誰かを信じる時、その事の保証を得ているわけではない。 たいていの場合「勝手に」信じている。 私が誰かを「勝手に」信じて、その誰かも“自分の都合で”私を「勝手に」信じている時。 知らずに「信じ合っている」事になる。 どちらかが“自分の都合で”信じやめたら、もう成立しない。 じゃあ、「私も信じるから、貴方も信じてね」と“自分の都合で”約束をしたとする。 するとそこには自ずと「裏切りの種」が生まれる。 相手が自分の都合通りでなかったら「裏切った」ということになるから。 なので私は。よほどの思いでなければ「約束」はしない。 何の約束もなくお互いが「勝手に」信じていて、それが「勝手に」生涯に及んだら、 まさに人間の持つ神聖な可能性の一部がこの世に於〈お〉いて実現された事になる。 でもそれは、計算や約束の通用しない領域。 誰もが得られる可能性を持ちながら誰でもが得られる現実ではないのかもしれない。 お互いが「裏切らないでね?」と約束し合いながら、なら、別だけど。 だから。 信じやめることができない。 もちろん、具体的な物事を信じているわけではない。 それをすると、「支配」や「欲」の領域に入ると思うから。 その姿勢を貫きたかったら“全てを司る力”を信じるしかない。 「起こることの全てを信じる」以外に、保証のないものがたりを同じ姿勢で歩くことは難しい。 結局。 いつも同じところへたどり着いてしまう(笑) 私にとって1日1日が「賭け」に等しい。 どんな捉え方をして何を元に解決を望むのか。 今。この瞬間に決断の基準となるもの(価値観)は何か。 それらのことについて今まで一度も自信があった試しがない。 いつもギリギリのところでようやくその答の最初のひと文字を見つける程度で。 その先がどうなっているかなど、知らない。 そしてその“知らない”「第三章」が2007年から始まる。 但しその「第三章」は今日からの5日間、「第二章」のクライマックスによって 最初の兆しを与えられるのだ。 それでは。皆様。 「第二章」では、大変お世話になりました。 「第三章」でも、よろしくお願い致します。 良いお年(ものがたり)をお迎えください。。。。! ∞†知民†∞ 20061227P726 宮崎県レイキヒーリング/Slow Work System/サイトマップ@ 宮崎県レイキヒーリング/Slow Work System/サイトマップA Copyright (C) 2006-2008 Satomi Udatsu all rights Reserved. |
|||||||