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信頼・信用に直接関わる重要なポイント、それは会話の内容。
「会話」というのは、人の“在り方”を問われる現場でもある。
特に“不在者”を含むコミュニケーションについて。
よくあるのが「人の噂話」。
不在者の話をする時に、
相手のネガティブな要素を引き出して語ることはしないほうがいい。
これはとても大切な会話のスキルだと感じる。
単純なことだが実践するのは一番難しいことかもしれない。
うわさ話をしないと言っても、会話の中の登場人物として語ったり、
ただあることをあると言う、客観的情報の伝達は別だと思うけど。。
人が語った言葉の情報伝達を行う時には、
出来るだけ相手が語った通りの言葉を使ったり、
ハッキリ覚えていないときは、
その人(不在者)の言葉通りではないことも付け加えるとか、
そういう配慮は必要だと思う。
結構ね、その時の会話の流れや空気等で思わず話を誇張したり、
自分の考えや感情を加えて実際の言葉を変えて伝えたり、
そういうの、多いような気がするから。
褒め言葉ならね、誇張されたぐらいでもいいのかもしれないけど(笑)
言葉が多少変わっても、褒められた内容は肯定的に伝わると思うし。
気を付けたいのは、それ以外の「噂話」。
不在者の話しをする際には、
本人の直接のバイブレーションを受け取る事ができない。
“言葉だけ”だと、
受取手や聞き手の個性や感性(フィルター)を通して
事実が彎曲して理解されることも少なくないと思う。
実際、直接の会話でさえも、相手の感性で思いもよらぬ
受け取り方を知ってビックリすることもあるから。
だから、うわさ話には後から誤解や不調和が生じやすい側面がある。
「〜がこんなふうに言ってた..って言ってたけど」
「えっ?そんな言い方してないよ?」
「ねぇ、〜に聞いたんだけど〜」
「違うよ?私が言ったのは別の意味だよ?」
など。
内容が大した間違いではなければ、さほど大きな問題にはならない。
けど、その伝え間違いが、その人の人格イメージを大きく左右する事もある。
結局。
“誰を信用するのか、しないのか”は個人の責任において
自分の意志で判断するもので、それも自己信頼の一部だと思うけど。
どちらにしても。
真実や事実を好む人は、
人の噂を鵜呑みにしないほうがいい。
だいいち、自分が直接聞いたり見たり感じたりしていないことを
体験者本人からではなく、第三者から間接的に伝えられる事ほど
不確実な内容は、なくない?
聞いてる側はその場に居合わせなかったり、
相手のことを知らなかったりするにも関わらず、
「噂話」は信じられやすい素質を持っている。
話題に出ている不在者の事を快く思っていない人は、
聞き手に対して
噂している人物に悪い印象を持つような言い方(及びバイブレーション)で
言葉をコントロールして伝えることが多い。
聞き手も人間だから、「え!?そうなの?」ということになる。
「ショック!知らなかった」
「人は見かけによらないね〜」
「え。。信じられない。。」
事実は違っていても、最初に伝えられた印象はなかなか拭えない。
また、聞き手が話題に出ている不在者を快く思っていない場合は
相手の話す不在者の噂を否定的に聞いてしまう(無意識です)。
この場合、聞き手から外に話が広がる際には
否定的な言い方で伝えられる可能性が大きい。
噂をしている両方が話題に出ている人物を快く思っていない場合は
いわゆる、非難・陰口・悪口、よくある現場。
もし、人から噂を聞いて、知りたいこと(興味をもったこと)や疑問、
腑に落ちない点があるなら、
直接本人とコミュニケーションをとった方がいい。
意図的な悪意がなくても、それぞれに感性の違う同士が言葉だけを
頼りにコミュニケーションをしているのだから、そこには当然
多少なりとも当事者(本人)の捉え方や感じ方の「ズレ」が生じて来る。
その「ズレ」が大きいと、
当事者不在のまま誤解だけが先に立ってしまうこともある。
「あの人、信じていたのに...」
「へぇえ、そういう人だったんだぁ..」
そのような現場をたくさん眺めてきた。
事実とは明らかに違う言葉で伝えている現場や、
自分の中の癒されていない問題により、
相手の言葉を否定的に受け取り、思い込みで非難したり。
もっと、エスカレートすると。。
伝え方を個人がコントロールして、
自分が嫌ったり妬んだりしている特定の人物に
悪い印象を与えられるようにその場の会話を利用する。
無意識ではない。
“わざと”悪く言って、仲間作りをする。
自分の嫌いな人を、他の人にも嫌わせたい心理。
場合によっては完全な「嘘」が使われる事もある。
まさか、と思う?
現実に、身近な人の体験を間近で見た事がある。
仲の良い二人に嫉妬した第三者が、
影で“あの人が、あなたの悪口言ってたよ”のような「嘘」を使って
不信感を引き出し、その、仲の良い二人の間に亀裂が入った。
一旦は直接の会話で事実確認をしたものの、
影で伝えられた悪口(嘘)の威力は大きく、とうとう二人は
その後の信頼関係を築けずに疎遠になった。
ここでもやっぱり。
“誰を信用するのか、しないのか”は個人の責任において
自分の意志で判断するもので、それも自己信頼の一部だと思うけど。
ただ、ね。
とても長い付き合いがあっても、ひとつの心ない「嘘」だけで
関係が崩れてしまうほど「悪口」は人を傷つけるわけです。
だから。
そんなので疎遠になるなら元々その程度の関係だったんじゃないの?
とは、言えない部分があると思う。
じゃ、嘘をついた人物はどうなるの?
それは、ね。
宇宙の法則により、全て帳尻が合うようになってる。
といっても“わざと”帳尻が合わされるワケではない。
そこにはただ「法則」があるだけ。
人間の感情や正しさや考えに関わりなく、ただ在る「法則」。
ただの宇宙の?営み。
“逃れる”ことも“逃れない”ことも出来ないの♪
さて。
「信頼」と「信用」。
信頼は、お互いのコミュニケーションを重ねる課程で、
その人の現実的な行動や、会話の内容、バイブレーションを肌で感じたり、
いざという時の態度など、
それらの積み重ねにより自ずと沸いてくる思いで、
とてもじゃないけど、知らない人に「私を信頼してほしい」などとは言えないし、
昨日今日合った人から「私を信頼してほしい」と言われて出来るわけがない。
だって私にとって信頼とは「事実」に基づいた感じ方だから。
事実、その人はどんな態度をとったか。
事実、その人はその時どうしたか。
事実、その人はどのような伝え方をしたか。
それがどのような内容であれ、お互いの間に「事実」そのものがない場合は、
信頼したくてもしようがない。
私にとっての「信頼」とは、
誤魔化しのきかない事実によって生じる。
でも、人に信頼される為に生きるいうことはしない(笑)
そんなことを目標にしてたら、
その内“本当の自分では無い者”になりそう。
だから、わざとじゃないのに誰かが信頼してくれている時、
それは本物の支えとなる。
そして、わざとじゃないのに誰かを信頼している時、
それは本物の自信となる。
信頼は自ずと愛を生む。
「信用」はね、もっと現実的で実用的な感覚。
愛していても信用はしていない、という状況は成り立つと思う。
普遍的な愛と現実的な人格は別だと思うから。
例えば子どもが嘘ばっかりついていて、
現実的に、事実上信用は出来ないとして、
じゃぁ、愛していないのかというと、
それでも親は子を愛している(逆も同じ)。
そんなふうに。
そして。
非難中傷・悪(影)口は、「信頼」「信用」のどちらにも直接影響する。
なので。
真実や事実を好む人は、
人の噂を鵜呑みにしないほうがいい。
わざわざ疑うのも不自然だけど、わざわざ信じるのも不自然だ。
もし、まさかと思うことや腑に落ちないところがあれば、
本人と直接コミュニケーションをとる事が何よりも重要。
うわさ話でなくても、それは同じだと思う。
疑問や納得出来ない事があるなら、影や心でしのごの言わずに、
直接本人に聞いたり伝えたりする方がいい。
それが出来ないなら、
せめて想像や思い込みで不確実な判断をしないよう注意したい。
真実や事実を好む人は、ね(笑)
【20070411/01:33】

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