宮崎県の諸塚村。
今生この世界を生きる上で、基盤となる私の素質を育て見守ってくれた私の「根元」。
生まれてから3才くらいまでを、この諸塚村で過ごした。
家の裏側は川で、玄関を出ると、目の前は山だった。
これまでその事の意味を明確に感じた事はなかったけど、いつからか、どこか奥の方でずっと、
「またいつか諸塚に行きたい(帰りたい)。。。。」という思いを漠然と持ち続けていた。
両親が宮崎市内に引っ越してからは、小学校1〜2年生くらいの頃に一度、
祖母と二人で、祖母の実家に遊びに行って以来一度も訪れる事がなかった。
宮崎県内とは言っても、諸塚村はとても遠い存在に感じられており、
いつ、どう諸塚村へ行くのかなど頭の中でも、ずっと具体的にはならなかった。
“もう一度あの場所(幼少生まれ育った場所)”へ行きたいという
漠然とした慢性的な思いだけを残し、何年もが過ぎ去った。
※「生まれた場所」についてもう少し正確に言うと。。。当時諸塚村には
産婦人科病院が無かった為、実際に私が生まれたのは「日向/ひむか」の地だった。
漠然とした思いというものは、大抵の場合「正しい」。
「人生」という大きなドラマの中で、その必要性があるから「感じて」いるのだ。
そして、物事には順番があるものだ。
全ての「準備」が整った時、外からの導きが起こる。
2007年9月。
縁あって諸塚村(以下、諸塚と表現)で暮らしている親戚の方にお会いする機会があり、
その方が「遊びにおいで」言ってくださったのだ。
瞬間、「行かなければいけない」と感じた。
3才で宮崎市内に引っ越した私は、
これまでほとんど諸塚在住の親戚の方と交流の機会が無かったので、
思わず「ほんとに行っていいですか?」と、2回ほど念押してお聞きした。
その方は「いいよ、おいで。おいで。」と、快く言って下さった。
行動は早かった。
1週間後、私は約30年ぶりに諸塚の地を踏んだ。。
嬉しくてたまらなかった。
生まれた国、生まれた土地、育った場所、
全てに今生この世界を生きる上での大切な意味がある。
その意味を、わざわざ頭で考える必要はなくても、それは私の命を支える力となっている。
私は。
自然界とのコミュニケーションの「術」を、諸塚の山々から学んだのだ。
「術」と言っても、実際に技術があるわけではない。
「自然界への心の開き方」のようなもので、
テキストがあるとしたら、それは自然界からの「バイブレーション(波動)」。
つまり、住めば自然に培える(ハズ)のもので、決して特別なものではない。
ただそこに住む(暮らす)事が大事なのだ。
川を、山を、好きでたまらなかった。
子どもの持つ順応性と潔さにより、諸塚を去ってからは
その後の生活にも少しずつ慣れて、諸塚のことは顕在的に忘れていったけど、
どこか奥の方ではいつも私を育てた「自然界」の懐に、もう一度戻りたいと願っていた。
山々や木々、川や石にいたるまで、諸塚の地は
今生で必要となる根本的な「感性・素質・感受性」を教えた自然界側の私の親なのだ。
今回、再びその「懐」に還り、かつて過ごした各所の記憶とその面影を辿りながら、
諸塚の地で3年間育まれた、今生最初の私の「歴史」を、心の底から感謝し嬉しく感じた。
この日、「戻ったよ!」と、何度も諸塚の山々に報告した。
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| この橋、「夢の大橋」と言うそうです。 |
大橋近くから見た風景。 |
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| この辺りなんですよね、当時暮らしていたのは。 |
裏手の川。台風かな、木が倒れてます。 |
今回お世話になったのは私が暮らしていた所から更に山奥へ。。。
車で約20分くらい、祖母の実家です。
山々に囲まれた空気の中で、一泊させて頂きました。
諸塚の生椎茸、食べたことありますか?
「山の肉」と呼ぶに相応しい、肉厚で見事な山の芸術です。
地元の方にすれば、その中でもランクがあるそうですが。。。
鉄板でバターで焼いて、塩だけで味付けします。
もうお腹一杯でも、まだもう少し食べたいと“欲張り”になるほど美味しいです。
私は元々椎茸嫌いでしたが、諸塚のホンモノの肉厚生椎茸を食べた時は、
これは普段「椎茸」と呼ばれているものとは、
まるで違う食べ物みたいだ!と思うほど美味しかったです。
【20071007:記】
諸塚村由来のレイキヒーラー 宇田津知民
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