大正時代、臼井甕男氏(1865〜1926)により発見された「靈気療法」は、
第2次世界大戦の折りに「臼井靈気療法学会」の本部が壊滅的な状態となったことや、
その後の西洋医学の進出により「靈気」という言葉自体、次第に消滅して行きました。
臼井先生より直接伝授をお受けになった林忠治郎氏(1879〜1940)により、
レイキは高田はわよ氏(1900〜1980)に伝授されました。
高田はわよ氏によりレイキが海外へ伝えられました。
高田はわよ先生は22名のレイキマスターを育成されました。
そこから様々な系統や流派に分かれ、
世界中に(及び日本へ)レイキが広がっていきました。
日本では1987年に初めてレイキ療法の本が出版されました。
その後、1993年頃からレイキの全容が公開され、
この頃からようやく日本での実践者が増え始めました。
戦後、海外では、日本で靈気を受け継ぐ人は途絶えたと言われていました。
※実際には「臼井靈気療法学会」は代々引き継がれ、現在も存続しています。
現在の日本で実践されているレイキのほとんどは、
一度海外へ渡り戻ってきた「西洋レイキ」です。
※「Slow Work System」でお伝えするのは「西洋レイキ」となります。
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【林忠治郎先生】1879〜1940
軍医として務めた海軍を退役後、大正14年に最終秘伝を修得。
臼井先生がお亡くなりになった後、
「林式靈気療法研究会」を興し臼井靈気療法を伝える。
東京・信濃町で靈気療法所を開き、
8台のベッドと16名の療法者を雇い盛況だったと伝えられている。
高田はわよ氏が林先生により伝授を受け、最終秘伝をハワイに伝えた事から、
林先生は西洋レイキの「祖」と言っても過言ではない存在である。
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【高田はわよ先生】1900〜1980
ハワイ生まれの日系女性としてカワムラ家に生まれる。
名前の「はわよ」はハワイにちなんだもの。
結婚後、夫を30歳で亡くし、
その後の過労などにより35歳の頃には余命いくらもないと言われ、
両親の祖国である日本に訪れる。
日本で林先生の靈気療法に出会い、2ヶ月後には健康を回復・8ヶ月後には完治する。
林先生から「初伝」と「奥伝」を受け、高田先生はハワイに戻る。
その後林先生がハワイに訪れた際に最終秘伝の伝授を受ける。
※1940年に林先生が亡くなった後、1942年に第2次世界大戦が始まる。
高田先生は長きに渡りレイキの伝授を行わず、
70歳を超えてからマスターの育成を始める。(22名)
1980年にマスター達と共にアメリカレイキアソシエーションを設立。
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